瞑想って、たまに聞くけど、調べてみるとなんだか宗教的だったり、変に哲学的だったりしてわかりづらいですよね。
実際にどうやるのか知りたいのに、小難しい前置きが長くて頭がクラクラしてきます。
今回はそんな掴みどころのない瞑想のついて簡単に行う方法まとめてみました。
- 瞑想のやり方 ってどうするの?
- 瞑想の効果 って何
- 瞑想の危険性や気をつける点 は?
- 瞑想の種類 ってどれくらいあるの?
瞑想は自分の体だけで簡単に始めることができます。
この記事を読んで、是非トライしてみてください!
目次
瞑想のやり方は?
一番基本となる瞑想のやり方は、自分の呼吸に意識を向ける瞑想です。
アーナパーナサティと呼ばれている有名な瞑想法です。
アーナパーナサティはパーリ語です。
パーリ語はお釈迦様が実際に話していた言語と言われています。
初期仏教では、瞑想法はなるべくパーリ語で教えるところが多いです。
なぜなら、お釈迦様の教えをより忠実に、正確に伝えるため。
諸説はいろいろありますが、翻訳を繰り返すと、同じようで異なる内容のものができて、どれが本物かわからなくなる時がありますよね。
実はそれが原因で、インドでは仏教が衰退しました。
仏教はインドから広まりました。
ですが、インドでは人々が自分勝手にお釈迦様が教えた内容を解釈して、色々な言語に翻訳しました。
そのため内容が千差万別となってしまいました。
結局、どれが本当の教えかよくわからなくなったため、インドでは仏教が衰退してしまった!という過去があります。
この過ちを繰り返さないために初期仏教では、お釈迦様の教えをより忠実に、正確に伝えるという点をかなり重視しています。
アーナパーナサティはパーリ語で「呼吸に気づく瞑想」という意味になります。
アーナパーナは”入る息、出る息”という意味です。
サティは”気づく”という意味です。
従って、アーナパーナサティは「呼吸に気づく瞑想」という意味になります。
簡単なので早速やってみましょう。
方法はこんな感じです
アーナパーナサティの方法
0~4までの流れがあります。
ひとつひとつ紹介していきますね。
0 居心地がいい姿勢で座る
あぐらを組むことが望ましいとされてます。
腰が痛くなる人は、椅子に座って行っても大丈夫です。
目を閉じると眠くなるので、開けておくことをオススメします。
感覚に集中するために、視覚を遮断する必要があるときだけ、目を閉じましょう。
1 鼻の下の皮膚を感じ取る
呼吸するたびに、鼻下を通り過ぎる空気を感じ取る。
吸う時は冷んやりした空気、吐く時は暖かい空気が鼻下の皮膚や鼻の中の空洞(鼻腔)を通りすぎるのを感じ取ります。
2 お腹の動きを感じ取る
鼻下の感覚を感じ取れるようになったら、今度はお腹の動きを感じ取る。
息を吸う時はお腹が膨らみ、吐く時はお腹がへこみます。
お腹が膨らんだ時の、お腹が張る感じ、お腹がへこんだ時のお腹が脱力してリラックスした感じを感じ取りましょう。
3 1と2を同時にやる
お腹の動きを感じ取るができたら、これと、「鼻下を感じ取る」を同時にやりましょう。
鼻下の皮膚に空気が擦れる感覚を感じ取りながら、お腹が膨らんでいく感じを感じ取ります。
4 全身の感覚を同時に感じ取る
3ができるようになったら、全身を同時に感じ取る練習をしましょう。
実は呼吸によって動きや感覚が生じるのは鼻下とお腹だけではありません。
吸う時に肩が少し上がって、それにつられるように腕の位置が若干変わったりします。
吸う時にこめかみの辺りの筋肉が収縮して、吐く時にそこが緩んだりします。
それらの微細な動きを感じ取りましょう。
しばらく続けていると、こめかみや心臓、みぞおちなどで、自分の血管が脈打っているを感じ取れるようになったりします。
アーナパーナサティは何のためにやるの?
アーナパーナサティにはいくつか段階があります。
初心者の方は、いつでもどこでも自分の心を落ち着けることができるようになるためにアーナパーナサティをやりましょう。
これを実際にできるようになるためには呼吸と身体と心の関係に気づく必要があります。
瞑想を続けていると、以下の点に気づきます
瞑想中に気づくこと
呼吸が荒い時は、身体にもこわばりがある。
呼吸がなだらかな時は、身体もほぐれてリラックスしている。
呼吸がなだらかで、身体もほぐれてリラックスしている時は、心も安定していて幸せな気持ちになる。
これらの事実を知っているだけでなくて、実感できるように瞑想を繰り返します。
この瞑想が上達すると、
- 呼吸をなだらかにすることで身体のこわばりをとる
- 身体のこわばりをとることで心を落ち着けて、リラックスする
といったことができるようになります。
瞑想の効果は何がある?
- リラックスできる
- 不安を鎮めることができる
- アイディアが閃くようになる
- 運動神経が良くなる
- 煩悩に振り回されなず、集中できる
瞑想を行うと、食欲や性欲、征服欲などの「本当はそこまで重要なじゃない欲」を鎮めることができます。
欲することがなければ、失うことに怯える必要はなくなるので、リラックスできるようになりますよ。
瞑想をやればやるほど、「本当はどうでもいい欲」が消えていって、代わりに「本当に重要な欲」が際立ってきます。
そうなると、優先順位が明確になるので、迷うことが少なくなります。
あと、身体の感覚や自分の心の変化などを繊細に感じ取れるようになるので、運動神経が向上したり、芸術的な才能が開花することもあります。
瞑想は危険?気をつけることは?
瞑想が危険というと大げさな感じがしますが、瞑想によって不利益が生じることは確かにあります。
実際にあったケースを列挙していきます。
瞑想をしていて実際に起きたトラブル
腰が痛いのに我慢して座り続けてた結果、腰痛が悪化した
腰痛が悪化したのは、単純に我慢することを強要するその瞑想法に問題があったといえます。
やる気がなくなって無気力になった
やる気がなくなり、無気力になったのは、瞑想法に問題があると思います。
欲を無理やり消そうとすると、無気力になったり、反対に前より欲が強くなったりします。
瞑想中、何かに見られている感じがしてとても不安になる
夜中に神社で瞑想したりするとそうなることがあります。
時と場所に問題がある場合が多いので、瞑想する場所を変えればよいでしょう。
自己主張が弱くなり、怒ったり悔しがったりしなくなったため、周りの人から「変な ヤツ」と言われるようになった
これは別に悪いことではないと思います。
ですが、「変なヤツ」思われたくなければ、自己主張したり、怒ったり、悔しがったりする”フリ”をする必要があるかもしれません。
- お腹や背中、頭などが急に痛くなった
- しゃっくりが止まらなくなった
これらは瞑想続けているとたまに起こる症状です。
瞑想することによって、自分の身体と心が変わっていく過程で起きる症状だといえます。
このような、瞑想によって生じる身体の不調は「偏差」と呼ばれています。
自然に治る症状もあります。
このような症状が起きるまで瞑想を続けてきた人は、瞑想がもたらす恩恵も実感しているはずです。
偏差は瞑想が進んでいる証拠でもあります。
積極的に解決して、先に進みましょう。
悪徳業者に気をつける!
実は、瞑想より危険なものがこの世には存在します。
瞑想を悪用する指導者です。
瞑想法が論理的で、つじつまが合っているか頻繁に確認する習慣を持ちましょう。
最初のうちは有名で、古くから存在している、古典的な瞑想法から始めることをオススメします。
時の試練に耐えて現代に残っている瞑想法は、信頼に値します。
瞑想法に種類はあるの?
色々な人が日々、新しい瞑想法を編み出しています。
そのため、瞑想法は数え切れないほどあると思います。
ですが、全ての瞑想法は大抵2種類に分類できます。
集中する瞑想と観察する瞑想です。
集中する瞑想とは
- ろうそくの一点を見つめる瞑想
- ひたすら経典を写し書きする瞑想(いわゆる写経)
- 赤い玉のイメージを保持する瞑想
- 人々が幸せて暮らしているイメージを保持する瞑想
などが集中する瞑想です。
心を制御する精神力を養う瞑想法です。
日本で行われている座禅のほとんどはこの「集中する瞑想」で、初期仏教ではサマタ瞑想と呼ばれています。
観察する瞑想とは
アーナパーナサティで紹介した
- 鼻下の皮膚の感覚を感じ取る
- 心の変化を感じ取る
などがこれに該当します。
観察を続けると、なんらかの発見(気づき)が生まれます。
観察によって、叡智を育む瞑想法です。
初期仏教ではヴィパッサナー瞑想と呼ばれています。
初期仏教では、観察する瞑想がメインで、集中する瞑想は補助的な役割を担っています。
観察するにはある程度の集中力が必要です。
これがない人には、「集中する瞑想」を行い、集中力を剥ぐ育むといった具合です。
以上ご紹介した内容をまとめると、ポイントは
- 瞑想の基本はアーナパーマサティ
- 瞑想を続けると、どうでもいい欲から順番に消えていく
- 瞑想によって生じる身体の不調は、偏差と呼ばれているものであることが多い
- 偏差は瞑想が進んでいる証拠
- 瞑想を始める時は古典的な瞑想法から当たっていくと良い
- 瞑想には集中する瞑想と観察する瞑想の2種類がある
と、こんな感じになるかと思います。
瞑想は簡単に始められますが、とても奥が深いです。
とても面白いので、ぜひトライしてみてください!
ここで紹介したアーナパーナサティについては、安全だと自分は確信していますが、保証はできません。
実践は自己責任でお願いします。
「なんか変だな」と感じたらすぐに瞑想を止めるようにしてください。
瞑想は森を探検することと似てます。
落石には常に気を配り、道に迷ったり、蛇を踏んづけたりしないように気をつけながら、目的地を目指しましょう。